| <解説> |
| この物語のバックにある歴史的事実 |
遣唐使として中国に行き、暦を教えてもらうことをやめて800年が経ち、日食が2日も違ってきました。そこで、天皇は渋川春海に、経緯と緯度を計算し直し、日本独特の暦を作れと命じました。どうしても解けない問題があったとき、禁書である「天経惑門」という、ガリレオガリレイの太陽暦が日本に入ってきました。渋川春海は、中国からはいってきた太陰暦と、西洋の太陽暦を取り入れて、日本独特の太陰太陽暦の暦を作りました。
その次の年、近松は「賢女手習並新暦」を書き、井原西鶴は「暦」を書きました。
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| 暦と愛染明王の関係について |
天の運行は、月・太陽・星の動きのことであり、そこから暦ができている。愛染明王は暦を司る明王である。近松は、暦の物語を書くときに、男女の恋愛を成就させる仏でもある愛染明王にまつわる男女の愛の話しを考えだした。
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| 愛染明王について |
愛染という名前のとおり、愛情・情欲をつかさどり、愛欲貪染をそのまま浄菩提心(悟りの心)にかえる力をもち、煩悩即菩提を象徴した明王です。すなれち、人間にはさまざまな欲望がありますが、この欲望は人間には滅亡へとかりたてる力を持つとともに、時には生きて行くうえでの活力源となり、より多くのものを可能にし、高める力を持っています。この両刃の剣である力強い欲望の工ネルギーを、悟りを求め自らを高めようとする積極的なエネルギーに浄化しようというのが愛染明王の教えです。怨愛平等。
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| 城谷小夜子と愛染さんとの出会い |
今から9年前。金沢の宝泉寺さんの護摩焚きに参加したその日は、年に1回の愛染さんの護摩焚きの日であった。住職の辻雅榮さんから愛染さんのはなしを聞いた。
愛染明王は、我々衆生が生まれつき備えている愛欲や、むさぼりの心(貧染)をそのまま、み仏の菩提心に変えてくださる(煩悩即菩提)仏さまであるといわれている。
これをみんなに伝えたいなぁ、と強く思った。それから5年たち、この作品と出会った。
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| この作品にまつわる本当のドラマ |
新暦が公布されたことは、大変センセーショナルな出来事であった。大阪で宇治加賀之掾の劇場と、加賀之掾の弟子である竹本義太夫の劇場で、新暦の話しが上演された。弟子と師匠が同じテーマで芝居をかけたのである。
結果、宇治加賀之掾の上演した井原西鶴作「暦」は不評で、なおかつ、劇場が火事になり宇治加賀之掾は京都に帰った。貞享2年3月24日の火事であった。
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