5月30日、翌日の公演にそなえて、城谷さんと大久保さんが宝泉寺のお掃除に先発。残留組は、金沢の近江町市場見学にでかける。新鮮な魚介類を、目で堪能した。
夕方、会場設営・リハーサルのため宝泉寺へ向かう。荷物を満載した我が愛車のカーナビは、卯辰山の宝泉寺を的確に示してはいたが、東山の交差点から山道に入るところで音声案内が間違っていて、2度も町中を迂回するはめになり、楽屋荷物・器材を待っていた皆さんをイライラさせた。夜、辻雅榮住職が戻られて、本格的な設営が始まった。須弥壇の御簾を外し、経机・鈴・賽銭箱まで移動。照明器具がセットアップされて、舞台空間がほぼ完成。お客様の数は30名と予想して、座布団を敷いた。リハーサルが始まり、辻住職も交えて駄目出しが進む。その後、羽咋の宮本さんからいただいた香の扱いを教わり、上演に際して香を焚くノウハウを教わった。
ホテルに戻ると、差し入れのケーキが待っていたので、フロントから包丁を借りて、ロビーで皆でおいしくいただいた。
5月31日、朝5時過ぎ起床。城谷さんが運転を買って出て、お寺へ向かう。6時から護摩焚き。城谷さんと山本和子さんは座布団に正座したが、私を含めたその他の人は、最初から椅子に座らせていただいた。瞑想そして護摩焚き、さまざまな思いが頭の中を駆けめぐる。それが静まって、護摩焚きが始まった。320年前の方々を想い、公演の盛況、無事を祈る。2時間の行のあと、朝食のためホテルへいったん戻った。
11時から準備が始まる。羽咋での公演がマスコミで報道されたので、問い合わせが多数あったそうだが、夜来の雨が時折ぱらつき、出足を心配させる。辻住職が、御堂外の濡れ縁をぞうきんがけされ始めたので、「お手伝いします」と申し上げたら、外周りの掃除をということになり、箒で参道を掃き始めた。常に掃除が行き届いているようで、雨で流れてきた落ち葉や、降り落ちた落ち葉を集める程度の作業だったが、「修行の始め?」か、長く途方もない時間を感じた。
須弥壇に地元の方が急遽持ち込んだ緋毛せんが敷かれ、観客席の前には白布が敷かれた。これで、さらに舞台らしくなったし、城谷さんが滑る懸念も無くなった。
雨も止んだ午後3時、辻住職の勇壮な太鼓に合わせて、般若心経を皆で唱てから舞台が始まった。太鼓の響きに乗ったリズミカルで躍動感のある経文を聞くのは初めての経験だったが、「賢女手習并新暦」の幕開きにふさわしいものだった。
観客数は、びったり30名。これにも驚いた。これ以上増えると、舞台横からの鑑賞になる。取材はケーブルテレビが1社。何とか会場に入れた。私は、ビデオと録音を担当したが、機器をスタートさせたあと、お客さんの間を移動できなくて、しばらくそこに突っ立っていた。あとで、城谷さんから「あの位置は、意地悪な演出家の立つ位置よ」と言われ、恐縮。城谷さんでも、プレッシャー感じるんだ‥‥。
無事公演終了。花束が贈られ、キャスト・スタッフの紹介も和気藹々のうちに進んだ。山本和子さんのご案内で、お寿司屋さんで懇談。電車で移動する方々と別れて、我が楽屋荷物等積載車は大阪へ出発。順調に大阪を目指したが、琵琶湖北端に着いたあたりから吹田まで、補修工事のため片側1車線規制。スピードが半分以下となり、電車組より先に荷物を届けることをあきらめたが、それでも30分遅れ程度で到着。荷物を降ろしたあと、速攻で帰路に着いたが、途中のSAで爆睡、朝が明けてしまった。総行程1,800キロのドライブは、何とも締まらない幕切れとなった。
|