11月16日(火) |
2004年11月16日(火)船橋きららホールで行われた近松没280年記念「大経師昔暦」は、満席のお客様の中、暖かい拍手で無事千秋楽を迎えることが出来た。次の目標は2005年九月カナダ、大阪、京都、そして東京公演。
巡演の企画書近々発表。近松の原作に興味のある方たちにぴったりの舞台。耳と目で「わかる」「面白い」近松が和の輪の舞台です。
・2004年11月の初演の舞台つくりに協力してくださった方がた。第1弾(順不同)
★米津千之先生、先生のおかげで、この作品が深いものになりました。この作品は、先生が作ったものです。どうしたらもっとよくなるか、もっともっと教えてください。
★阿部英夫さま、何で私を泣かせるかっこいい人なんでしょう。ジョーさんがいなかったらとてもとても幕が開きませんでした。それほど大変大掛かりな芝居になりました。評判はとてもいいです。阿部さんのおかげです。心配りに本当に感動しています。またご挨拶に行きます。
☆神代初美師匠、無事終わりました。浄瑠璃三味線がこんなに爪を酷使するものとは知りませんでした。でもわたしは弾き語りをもっと勉強したいと思います。
★ジョーさん、いやぁ、苦労かけました。神経高ぶっているわたしをなだめながら、お付き合いくださいまして、ほんまにおおきに。忙しいでしょうが、これからも変わらずお付き合いください。
☆藤舎花帆ちゃん、ちゃんと朝起きられることを信じています。もっと一緒に成長しようね。世界は花帆ちゃんを待っている。
★大石様、仕込みとばらし、助っ人おおきに。やっぱりいてくれるとほっとします。
★篠田裕先生、慣れないことなのに、バンバンだめだししてごめんね。先生の資料提供がこの作品を膨らませてくれました。
★古仲さん、最後の荷物卸までご苦労様でした。いつもほんまに助かっています。
★中島詩元興さん、明日朝4時からの仕事、ご苦労様。しばらくゆっくりしてね。でもいい音作ってくれてうれしかった。
★神戸保ちゃん、佐藤さんいいね。高橋圭子ちゃんとも再会できてうれしかった。再演をもっと楽しもうね。照明苦労させました。感謝です。
★花澤佐吉師匠、三味線ケースありがとうございます。ほんまに助かりました。今回は作曲から指導から舞台稽古も来てもらい本当に助けていただきました。これからもご指導お願いします。
☆仲沢祥子先生、いやぁ、今回の成功に大きく貢献していただき感謝です。ゆっくり休んでください。
☆荒武恵美子様、衣装評判いいです。なれない事をたくさんやってもらいごめんなさい。ゆっくり休んでね。
☆蓮見喜代江さん、くたびれたでしょう。この作品の成功はホールにあります。このホールを教えてくれた功績大です。和の輪初めての千葉公演、見事に成功。長一郎さんにも感謝の言葉を伝えてくださいね。おおきに。
☆乙部さん、17日の午後3時に行きます。まぁ、ほんまに今回もお疲れ様でした〜。
☆森本繁子さん、今回もまたお疲れ様でした〜。懲りずにまたよろしく〜。ほんまに長い付き合いになりました。「昔の女」から知っているのは、乙部さん、金本さん、福井ちゃん、そして森本さんでしょう。
☆宇田川太江子さん、解説よくやってくれました。美しかった。どんどんうまくなった。今朝急に頼んだ仕事も見事にこなしてもらい、ここと強いったらありません。またご一緒に!
☆相川勢津子さん、群馬からおおきに。よくやってくれました。これからも助けてくださいね。
★秋谷正希さん、☆多英子さん、駅に立って、ホールへのご案内、一番寒くて大事の仕事ご夫婦で嫌がらずにやってくださり感謝です。お二人のおかげで、助かったお客様が多かったと思います。正希さんには搬入もてつだってもらいありがたかったです。
★相澤友夫さん、たくさんたくさんお客様を連れてきてくれて本当にありがとうございました。
☆堀口れいこさま、大事の花帆ちゃんお借りしました。よくやってくれました。お迎えご苦労様でした。
☆田邊富子さま、受付ご苦労様でした。また来てください。
☆櫻井禮子さん、1日付き合ってくれておおきに。また来てください。
☆武田保子さん、1日ご苦労様。もっと勉強して1歩ずつ成長していこう。
☆藤井禮子さん、また手伝ってね。
☆テーマ曲のさゆちゃん、すばらしい歌が出来ました。わが娘の作った曲にほれるなんて、幸せです。また頼むね。
・チケットをたくさん買ってくださった実効委員の皆さんです。
★田中米春さんおおきに、また遊びに行きます。
★福井丈二さん、まいどおおきに。
★金本光弘さん、近々ランチなどご一緒に。
★重政行雄さん、アイデアたくさんおおきに。
★理事の斎藤晴朗さん、ロシアのガーリャと杉さん、はるかちゃんとの再会をさせてくれておおきに。どんなに懐かしくうれしかったか。
☆着物提供してくれた池本美奈子さん、ぴったりの着物です。
★宮下長昭さん、長〜くおつきあい願います。
★段下さん、また一緒に芝居作り楽しんでください。
アイデアをくれた何人もの方たち、今回も近松さん送り込んだとしか思えないようなたくさんの素敵な人が集まりました。
再会もたくさんありました。特に砂田直規さんとの再会は、楽しいものでした。アイデアがわきました。次の作品を一緒に作ってもらえる強力なバリトンさんです。
40件に近い広告提供者の方たちにも感謝です。一番遠いところからの応援は、北海道旭川市の三浦光世先生(三浦綾子文学記念館館長)と旭川家具のインテリアセンター会長の長原實さん。
この作品には、人々の琴線に触れる何かがあります。きっとたくさんの人たちに見てもらうことになりそうな予感がします。 |
|
11月12日(金)雨 |
のどの調子がいまいち。昨日稽古終了後、一気にアイスコーヒーを飲んだ。のどを急激に冷やしたことが一因。今日も稽古。せりふの曖昧なところを覚えること。そして三味線の稽古。腹筋を鍛える毎日。さぁ、今から練習だ。今夜は早めに休もう。 |
|
11月11日(木) |
文化センターで午後から夕方まで通し稽古。急遽解説に決まった宇田川太江子さんも参加。「芝居の中身がわかってよかった」という。 初めて頭から通した。三味線がどうしたの?というほど音が出ない。浄瑠璃三味線と言うものはこんなに演者によって音の差が出るのかと、愕然とする。今日は三味線がうまくいかないことで芝居に大きに影響が出てしまった。このことは十分起こりうることだから、影響受けない自分を後2日間で作ろう。花帆ちゃんとのコンビネーションは抜群にいい。踊りも素直だし、創造する楽しみをお互いに感じながら稽古できると事は幸せだ。仲沢先生、荒武さん、よくやってくれた。今回の早変わりを、今日稽古できたことはよかった。プロンプをおねがいした篠田先生が大学の授業でこられないので、乙部さんにやってもらう。まだまだせりふが泊まる。あと2日間で完全にクリアしよう。ちょっとのどが痛い。明日は少し身体を休めながらせりふと三味線の稽古に集中する。
稽古終了後、乙部さんと打合せ。すべて順調。和の輪の未来への希望も語る。がんばろう。(^0^)9 おー! |
|
11月9日(火) |
今日は、大道具を借りに行く。
GPの搬入と仕込み、大石さんが手伝ってくれることになる。ありがたし。夕方から佐吉さんの稽古。急遽新しい曲を入れる。まったく無謀なことをやろうとしているのかもしれない。しかし、素人の大胆さで出来るのだろうから、今はこの大胆さを恥ずかしげもなく披露しよう。
佐吉さんが14日の総ざらいに来てくれることになり心強い。 |
|
11月8日(月) |
荷物を出した。これで安心。ついでにUSAとカナダ行きの荷物も半分作る。まったく落ち着かない人生を送っている。いて座&B型特有の生き様ね。 |
|
11月7日(日) |
稽古。冒頭の解説を、プロジェクターを使わないことにする。宇田川太江子さんに解説の手伝いをしてもらうことにした。本日はじめて稽古。宇多川さんに当日着てもらう着物も決め、篠田先生とよく会うコンビの誕生。
5時過ぎに照明の神戸ちゃんが来て、解説を見てもらえたのでよかった。芝居の変更部分の打合せをする。
中島さんが6時半に来て、パンフレットの校正をまずやる。仕事が早い。
そして、序幕から稽古。
わたしのせりふはまだまだしっかりしていない。
第2幕が54分かかった。5分ほどカットする必要がある。帰宅してこまごまとまたせりふをカット。
明日もう一度覚え直しをする。
11日の全体稽古までになんとせりふを身体に叩き込むこと。
明日は踊りの振り付けと、三味線の稽古。
いよいよ残りが秒読み状態となった。
チケットの出はぴたっと止まっているが、心配はしていない。
丁度ほどのいいお客様で満席となるだろうと予測する。
流れをよくすることとメリハリ。
思い切ってやろう。あと1週間だ。
LAのビルとSFからメールが来る。偶然二人とも来週日本に来るので会いたいと言う。今は、なるたけ何でも受けようと思っているので、きっと会えるだろう。
挟み込む原稿も明日仕上げて、11日に印刷してしまえば気が楽になる。
車の手配も出来、宿の手配も出来た。とにかく何でも早め早めに終えていくこと。 |
|
11月6日(土) |
ひたすらせりふ覚え。 |
|
11月5日(金) |
せりふ覚え |
|
11月3日(水) |
江東区文化センターで稽古。狭い部屋。
夜みんなそろって稽古する。衣装のこともできたし、花帆ちゃんと踊りの打合せも出来た。初めて踊ると思えないほどなんだか息が合うのは不思議な感覚。 |
|
10月31日(日) |
稽古。稽古するごとにどんどん面白くなる。
大分せりふをカットした。
動きのアイディアがどんどん出てくる。
田中米春さんの家に借りていた本を返しに行く。真向法や大極拳を教わる。
夜、パンフレットの解説のことを考えた。明日打ち込みをしよう。明日の予定は、パンフレットの原稿を仕上げることと、図面をコピーすること。
銀座で取材を受けたあと、銀座ガスホーで朝重さんと友路師匠の会に出席。
いよいよ明日から11月だ。
乙部さんから「八月十五夜の茶屋」の企画届く。丁度今日、そろそろ企画書作って営業しなくてはと考えていたのでありがたい。和の輪はスタッフメンバーが大変充実して来ている。 |
|
10月30日(土)大雨 |
阿部さんに電話して、黒地がすりの相談。
稽古は夕方から。
昨日のあの雨の中、新宿の花帆ちゃんの稽古場で一気に打合せと稽古が出来た。
荒武さん、仲沢先生が花帆ちゃんの衣装あわせ。鷺の衣装、仲沢先生が素敵なのを持ってきてくれた。ありがたし。花帆ちゃんによく似合っていた。振り付けについてもかほ「がんばりま〜す」といってくれたのでなんだかうれしい。
野澤松也さんが雨下駄、雨傘、雨コートで登場。幕開きのところを三味線ではじめることにしたので、その相談。花帆ちゃんとの合奏するところも聞いてもらう。
最後の幕切れは三味線をぐっと短くした。私が成長したらもっと伸ばそうと、花帆ちゃんと約束。
中島詩元興さんが来て、頭から音の打合せ。花帆ちゃんに、子供の声で歌って貰ったり、読んでもらったり、篠笛や鉦も貰ったりした。中島さん、ずいぶん安心したと思う。帰りの車の中で、中島さんと大いに語る。 |
|
10月29日(金) |
午後まで原稿書き。今回の会場になる船橋のキララホールへ。道にまた迷い、少々遅刻。みんな待っていた。
会場をもう一度見る。平台に黒パンチカーペットがひいてある舞台になっていた。やっぱり黒の地がすりが欲しいと思う。
8人で地下1階のレストランで打合せ会議。
船橋駅からフェイスビルに入るのがわかりづらいという。駅案内が必要だが、人手が足りない・・・。みんなになんとか自力で来てもらうしかない。
チケットはほぼ完売。売り止めにする。開演2週間前で満席とは本当にありがたい。
打ち上げ場所もこのレストランに決めた。 |
|
10月28日(木) |
午後から江東区文化センターで全体稽古。まず、衣装と結髪の打合せ。仮縫い。神戸さんが来て、照明打合せ。夕方から乙部さん、古仲さん、中島さんが来て、通し稽古。みんながおすしやお菓子、お茶を持ってきてくれて、十分潤った稽古だった。三味線はうまくいかない。「最後の三味線やめた方がいいかもね。」「そうですね」とはっきり中島さん。「きついなぁ」「きびしいもんですよ」まさに。大いに検討余地あり。
「なんかバラバラなんだよね」の古仲さんの一言が問題提起的発言だった。どうしたらいいのか・・・どうしたら観客が眠くならないようにできるのか・・・・
2幕目が長い。せりふの大幅カットを考えよう。 |
|
10月27日(水) |
稽古。篠田先生と解説の内容を決める。夕方に中島さんも来て、音のうちあわせと、パンフレットの打合せ。 |
|
10月26日(火) |
一人でせりふ覚え。事務処理をこなす。
アメリカに電話。かずちゃんと契約書のことで打合せする。沖縄や横浜などあちこちに電話。 |
|
10月25日(月) |
文化庁の来年度申請の説明会に行く。その後、乙部さんの事務所で常任理事会。「大経師昔暦」の今の状況と、「来年度企画」の話し合いをする。 |
|
10月24日(日) |
朝、7時半にエフミさんにならまで送ってもらう。9時半に尼崎に着く。朝食を摂り
広済寺に向かう。水田かや乃先生と再会。
受付で塔婆供養をお願いすると、「そんなに所縁のかたなら・・・」と、お焼香をさせてもらえることになる。赤い花をつけてもらい、お弁当券まで頂く。
吉田文雀さん到着。話が出来る。あとで写真撮りましょうと言ってもらえる。そしてそのとおり、法会が終わりお墓での供養も終わったとき、「写真摂ろう」と誘ってくださり、「人形の左手持ちなはれ」と手を持たせて頂。和生さんに写真を取ってもらえた。人形は確かに生きていた。とても色っぽい香華を確かに感じた。こんな幸せなことが私の身に起こることを、まったく想像していなかった。
小早川圭子さんとも会え、「ええ、偶然なのぉ・・・導かれているわねぇ」と驚かれた。
こもち山姥 廓噺の段「八重桐」を小さな会館で上演。千歳大夫、三味線は宗助さん。人形、大夫、三味線と勉強するべきとことがいっぱいで、目が3つ欲しかった。
勉強になった。このめぐり合わせに手を合わせた。さぁ、せりふ覚えだ。 |
|
10月23日(土) |
朝10時にチェックアウトして、タクシーで近松さんのお墓参りに行く。尼崎の広済
寺は、紅白の幕がかかり、たくさんの人たちが大掃除の最中。聞けば24日が大法要祭という。吉田文雀さんの都合で、2年前から10月の最後の日曜日になったという。初美師匠のおうちに行き、24日のことを話す。すぐに和生さんや文雀師匠に連絡をつけてもらえた。午後3時まで稽古して、奈良・柳本のエフミさん宅に行く。おすしをご馳走になる。
来年の奈良公演については、11月4日に第1回目の実行委員会を立ち上げるのだが、すでに10人集まっているとのこと。大丈夫、これで公演成功と直感。
食事を終えてエフミさん宅に帰り、新潟地震のことを知る。なんということ。すぐに家に電話するが、大変かかりにくくなっていた。やっと通じたのだが、東京はなんとも無かったという。新潟の人たちはどんなに不安な夜を過ごしているだろうかと、申し訳ない気がした。 |
|
10月22日(金) |
一番の目的は、浄土宗の本山の水谷総長にお目にかかること。山城高校の宍戸先輩のご尽力によりご紹介していただけることになったのだが、総長のスケジュールがわからず、とにかく京都に飛んだ。あいにく台湾に行かれて不在だったが、秘書の豊川さんに会えて手紙を渡すことが出来た。先日お世話になった黒谷・西住院の戸川住職のお寺を訪ねたところ丁度在宅で、お目にかかれた。
「東岸和尚の意味を考えたんだが、西の岸があの世のことだから、東岸とはこの世の意味じゃないかと・・・」なるほど! おさんと茂兵衛の命を助けるということは、この世にとどめるということだ。・・・すごい、一つ疑問が解けた。
丁度その日は「時代祭り」。
紫式部と清少納言を見た。飛天の衣装のイメージもわいた。荒武さんに「飛天の衣装のイメージが湧いた」とすぐに電話。
三宮に向かった。初美師匠のおうちで稽古。22日は三宮のホテルが全部満杯なので、尼崎のビジネスをとった。夜10時で稽古を終わり尼崎に移動。 |
|
2004年の秋の日 |
あいている日が10月22日〜24日しかないと、急に思い立って、京都、神戸の旅
に出ました。「大経師昔暦」に関係する写真がたくさんとれました。人との出会いもたくさんあり、面白いことになっています。
近松門左衛門さんに導かれたような不思議な旅でした。 |
|
10月11日(月) |
篠田裕先生と一緒に台本整理。解説の内容も決める。パンフレットも充実したものになりそうだ。台本の気になるところが整理され、せりふ覚えにいよいよとりかかれる。台本を読み、テープに入れた。なんとかここ1週間で覚え、16日ごろから立ち稽古に入りたいなぁ。花束観劇も明日から目標30件で協力者を募ろう。きっと応援してくれる人たちが現れる。浅利慶太さんいわく「われわれはいい芝居をやっているのだ」私もこの自覚を持って、みなに協力をお願いしよう。これから毎日10件電話をかけ続けること。10月中に200人の人たちに、この芝居のことを話そう。近松さん、私に勇気と時間を与えてください。これこそが「日本伝統文化を生活の取り入れよう」と呼びかけるプロパガンダとしての私の本業ですから。70通の手紙を出す。 |
|
10月10日(日) |
「万歳」の振り付けをする。扇は、尺でいいかと思う。お能の謡用の扇を求めるかどうか、もうちょっと考えよう。
ドナルド・キーン先生に手紙を書く。キーン先生の著書「古典を楽しむ」のなかで、近松門左衛門の原文での舞台上演を期待するという一文があり、これぞまさに和の輪がやろうとしていることと、力を得た。1990年に出されている本で、すでに読んだ本だが、当時は意識が無かったので、ピンとこなかったのだが、今私に必要な本なので、目に付いたのだと思う。 |
|
10月8日(金) |
仲沢祥子先生と、髪のスタイルを相談。日暮里のトマトさんで衣装の生地を買うのにも付き合ってもらう。いいものが見つかった。舞台用の黒の生地もあったし、毛氈代わりのフェルトの赤生地も見つかった。
14日に荒武恵美子さんに生地を渡し衣装制作に入ってもらう。衣装のことはこれでOK。 |
|
9月20日(月) |
台本は決定した。今日はこれから、パンフレットにあいさつ文を書いてくださった豊竹嶋大夫さんに会いに半蔵門の国立小劇場にいく。初めての御目文字で少々緊張している。篠田先生が、近松が描いたらしい「蘆(あし)に鷺(さぎ)」の絵を見つける。大阪・淀屋橋の美術館にあるとのこと。樋口節子さんことせっちゃんが、台本の校正を手伝ってくれた。(彼女はプロです)しかも、貞享元年の年の暦屋が舞台の話の大きな歴史的意味も、せっちゃんが指摘してくれた。貞享暦は、それまでの暦は、天動説の中国の暦だっかが、800年間に2日間もずれるという粗雑なもので、正確な暦の必要性から、渋川春海が一生を費やし、「天経惑問」という地動説を唱える天文学などの取り入れ、ついに、日本初の暦をつくり、これが日本で認められたのが、貞享元年10月29日のこと。「大経師昔暦」は、貞享元年11月1日、新暦を配る大忙しの日に起こった事件としている。せっちゃん曰く
「それにしても、暦の話って、面白いでしょ?これは、元々天文に興味のあった私が、校正の仕事をしているうちに、目覚めた分野なの。暦=時間の管理は、古代以来国家の基本的な仕事の一つだったのね。」
暦産業が、大きなビジネスであったことがよくわかった。
2人が処刑されそうになるときに、京都黒谷の和尚が飛んできて、おさん・茂兵衛の命を助けるが、これこそ「年忌浄瑠璃の特徴」としている解説書もみつけた。もう少し詳しくこの辺のことを知りたい。今では歌舞伎も文楽も、「暦歌」も最後の場面もカットされているので、今の人たちは、実は近松の原作では2人の命を助けていることを知らない。この物語を、不義密通の話、とだけ捉えている。まったくそうでないことが、調べが進む中わかっていった。篠田先生の指摘から「蘆(あし)に鷺(さぎ)」の意味がわかり、その後、米津先生との話し合いの中から、「鷺がこのドラマを象徴しているが、仏教のほうからいえば、飛天思想があり、西方浄土思想と観世音菩薩思想があり、近松はそのことまで描いているのではないか」と指摘された。近松は、当時の人たちの、日常の苦しみや悲しみを、芝居を見ることでカタルシスとして、非日常を提供し、少しでも人々の苦しみを救いたかったのかもしれない。暦屋さんがなぜスポンサーだったのか、といういきさつも、よくわかった。
スポンサーからの制約があったであろうに、それをチャンスとして、時代の大きな移り変わりを物語りに込めることが出来た近松の筆のすごさに、私は震える。さすが近松、只者ではない。
それにしても、この作品をより深いものにするために、近松が2004年の今、人を集めてきてくれている感じがしてならない。幕開きの音楽もうまく録音できたようだし、野澤松也さんが抜群の「暦歌」を作ってくれた。25日に藤原さんのスタジオで録音。衣装&美容で、今回も仲沢祥子先生に協力いただく。チケットの売れ行きも順調。近松さんの280年忌に集まるべき人たちが集まって、近松さんを供養したい。「しんどかったよね、でもほんまにようやらはりなしたなぁ」と。近松さん、どうぞ来るべき人たちを集めてくださいね。近松さんの糸でつながる人たちが集まれば、必ず次のインスピレーションがみんなに与えられるものと、確信していますので・・・。藤舎花帆ちゃんとの稽古ももうじき。天才的なかほちゃんがきっとすばらしい鼓を鳴らしてくれるだろう。美しい舞台になる。この物語にこめられた哲学をしっかりつかめば、世界中の人たちに「慈悲」思想を物語から伝えていくことが出来る。来年はカナダに行く。欧州からも招待が来るだろう。
浄瑠璃三味線の稽古も順調。
事務を手伝ってくれる人がほしい。週2日午前10時から午後1時くらいでいいんだけれど。今すぐ〜11月25日ぐらいまでとりあえず急を要している。
城谷小夜子 |